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訪中の国民党主席、孫文の墓所で日本の台湾統治批判 「日本帝国主義の刃に切り裂かれた傷が癒えていない」


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001 2026/04/09(木) 11:53:40 ID:GvM.7.8g.2
 訪中している台湾の最大野党・国民党の鄭麗文(チヨンリーウェン)主席は8日、中台の現状を「日本帝国主義の刃に切り裂かれた傷が癒えていない」と表現し、日清戦争後の台湾割譲とその後の日本統治を批判した。高市早苗首相の台湾有事に関する国会答弁をきっかけに対日批判を強める中国政府や共産党と歩調を合わせた格好だ。

 国民党によると鄭氏は、江蘇省南京で党創設者にあたる孫文の墓所で演説。1925年の孫文死去の際、中国では民衆が「帝国主義打倒」を訴えた一方、日本統治下の台湾では「日本人の締め付けと弾圧」により公然と悼むことはできなかったなどと訴えた。抗日(日中)戦争で日本が敗戦し、「台湾は不運を終えることができた」とも語った。

 また、孫文と共産党の習近平(シーチンピン)総書記がともに環境保護を重視していると触れた上で、「両岸(中台)の中国人」などの表現を使い中台の一体性も強調。「私たちはともに両岸の和解と団結を促進すべきだ」などと語った。

 台湾は1895年、日清戦争後の下関条約で割譲され、日本の統治下に入った。日本が敗戦した1945年、当時は中国本土を統治していた国民党政権の中華民国が接収した。中国政府は日本の台湾統治について「日本が盗み取った」などと批判している。

https://news.yahoo.co.jp/articles/38ee2c18d14a8e7b58c28...

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002 2026/04/09(木) 13:03:21 ID:ctTNSz4dwg
1911年辛亥革命後の支那は
北京を拠点とする北洋軍閥の袁世凱の「北京政府」と、
孫文らが南部で樹立した「広東軍政府」に分裂し、南北対立(南北軍閥・政権)の時代となりました。

1912年、孫文は「清朝を退位させること」を条件に、臨時大総統の座を実力者の袁世凱に譲りました。この時はまだ、協力して新しい国を作ろうとする空気がありました。
1913年、袁世凱が独裁を強め、国民党の指導者(宋教仁)を暗殺した(疑いがある)ことで対立が決定的になります。孫文は打倒・袁世凱を掲げて挙兵しますが、敗北して日本へ亡命しました。ここが直接対決のピークです。
1916年袁世凱が皇帝になろうとして失敗し、失意の中で病死すると、北京政府は袁の部下たち(北洋軍閥)が分裂して争う時代に入ります。
ここから「北京政府(軍閥)」vs「広東軍政府(孫文)」という、組織同士の泥沼の対立構造が本格化しました。

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003 2026/04/09(木) 13:11:59 ID:DOQtOVwD2s
国民党=外省人 の構図がはっきりする件ですね
毛沢東も蒋介石も孫文の教え子だったんでしょ?
もしも亡命してきた孫文を日本が助けなかったらどんな未来になってたやら

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004 2026/04/09(木) 13:14:39 ID:Ci2UYWhkvM
>>1
さっさと平和的統一をして。有事にはするなよ。

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005 2026/04/09(木) 15:32:29 ID:ctTNSz4dwg

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