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訪中の国民党主席、孫文の墓所で日本の台湾統治批判 「日本帝国主義の刃に切り裂かれた傷が癒えていない」


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002 2026/04/09(木) 13:03:21 ID:ctTNSz4dwg
1911年辛亥革命後の支那は
北京を拠点とする北洋軍閥の袁世凱の「北京政府」と、
孫文らが南部で樹立した「広東軍政府」に分裂し、南北対立(南北軍閥・政権)の時代となりました。

1912年、孫文は「清朝を退位させること」を条件に、臨時大総統の座を実力者の袁世凱に譲りました。この時はまだ、協力して新しい国を作ろうとする空気がありました。
1913年、袁世凱が独裁を強め、国民党の指導者(宋教仁)を暗殺した(疑いがある)ことで対立が決定的になります。孫文は打倒・袁世凱を掲げて挙兵しますが、敗北して日本へ亡命しました。ここが直接対決のピークです。
1916年袁世凱が皇帝になろうとして失敗し、失意の中で病死すると、北京政府は袁の部下たち(北洋軍閥)が分裂して争う時代に入ります。
ここから「北京政府(軍閥)」vs「広東軍政府(孫文)」という、組織同士の泥沼の対立構造が本格化しました。

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