あと 149日13時間59分26秒

釜山でお客さんを乗せた電気自動車タクシーが走行中に衝突… あっという間に火災


▼ページ最下部
001 2025/05/02(金) 10:29:20 ID:EwzYTf/yA2
30日午前4時48分ごろ、釜山市釜山鎮区開琴洞(プサンシ・プサンジング・ケグムドン)のある道路で、しば
らく停車していた電気自動車タクシーから火災が発生し、車の大半を乗せて1時間53分後に消えた。

この日、釜山消防災難本部によると、火災が発生すると、60代の運転手Aさんと乗客1人が急いで自力で避難し、
人命被害は発生しなかった。

Aさんは警察で「運行中に車両下部から爆発音が聞こえ、停車した後、お客さんと一緒に降りてみると下の方から炎
が見えた」と供述した。

当時、運転手が確認した結果、道路には大きな鉄の塊があったという。

消防当局は移動式浸水槽と窒息布カバーなどを使って完全に鎮火した。

車が炎上し、4000万ウォン(約398万円)ほどの財産被害が発生した。通報を受けて出動した消防は、人員6
1人と装備17台を投入して通報受付1時間53分後の午前6時41分ごろ、火を完全に消した。

警察と消防当局は、道路にあった鉄製物によって車両バッテリーが破損し、熱暴走が発生したと見て正確な事故の原
因を調査している。

消防関係者は「移動式浸水槽と窒息消火カバーを利用して火を完全に消すことができた」として「リチウムイオン電
池の熱暴走により火が始まったと見て正確な火災の原因を調査するために合同鑑識を行う予定」と話した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d1ba46ca20e9e1daa0fd8...

返信する

002 2025/05/02(金) 11:59:53 ID:8CdIchi.i6
[YouTubeで再生]
文明開化から間もない頃 「電気」は謎の存在だった 東京府(当時)における推定電灯普及率は1890(明治23)年に0.3%、1900(明治33)年でも1.5%でした。50%を超えるのは1915(大正4)年、ほぼ100%に達するのは1925(大正14)年のことであり、電灯より先に電車に触れた人も多かったかもしれません。とはいえ当時の人々は同時に、電気という目に見えない力に対する恐れも抱いていました。1891(明治24)年には開設したばかりの国会議事堂が漏電で全焼し、電気火災の恐怖を知らしめました。そして同時に人々が恐れたのは「感電」でした。

例えば1909(明治42)年4月21日付朝日新聞の「銀座街頭の一惨事」と題する記事には20日朝、銀座二丁目の交差点を通過中の電車が架線を断ち、垂れ下がった架線が歩行者に接触、1人が死亡する事故が発生したと伝えています。記事は「架空線の下を歩くは大危険」との見出しも付けており、上空から襲いかかる電気に警戒するよう呼びかけています。

当時は電気保安も不十分で、1909(明治42)年7月16日付朝日新聞は「京浜電鉄(現在の京急)の危険 青火を吐きて乗客を驚かす」として、14日昼に車両の漏電で車内に青火が起こる事象が発生、15日朝にもバッテリーの損傷で火花が散り乗客の一部が微かに感電したと伝えています。1910(明治43)年9月17日には北品川御殿山付近で電柱から漏電し、周辺を歩いていた牛3頭が感電して倒れました。幸い手当をして息を吹き返したとのことですが、街に危険があふれていたことが分かります。また1911(明治44)年1月12日付朝日新聞によれば、北青山で10日夜、東京鉄道の架線が切断し、電流が地下の水道管経由で近所の銭湯に伝わって十数名が感電。幸い死傷者は出なかったものの悲鳴があがる「事件」が起きたというから、おちおちお湯にもつかっていられませんでした。
https://www.excite.co.jp/news/article/Trafficnews_12647...

返信する

003 2025/05/02(金) 15:19:58 ID:Zo2oYTbZqw
電気風呂w

返信する


▲ページ最上部

ログサイズ:4 KB 有効レス数:3 削除レス数:0





ニュース東亜掲示板に戻る 全部 次100 最新50

スレッドタイトル:釜山でお客さんを乗せた電気自動車タクシーが走行中に衝突…

レス投稿

未ログイン (ログイン

↑画像ファイル(jpg,gif,png)